もみじ 2006〜2023
悲しいお知らせになってしまいますが、2023年6月24日に我が家の愛犬もみじが永眠しました。16歳半でした。
今までもみじを可愛がってくださった方(直接でも写真やブログを通してでも)、優しい言葉をかけてくださった方、シニア犬介護を応援してくださった方、みなさま本当にありがとうございます。
何度かブログではお話ししているのでこれを読んでくださっている皆さんの中にはご存じの方も多いかと思いますが、ここ8ヶ月ほどは要介護な状態でした。(詳しい話は「老犬と暮らすということ 1/2」)
飲んでいた薬も少しずつ増えたり変えたりしながら、最終的には毎日4種類。
4月後半からはなかなか体調が安定せず、ちょっと良くなったと安堵したらまた何か問題が…という繰り返しの生活でした。
最後の2週間ほどは特に、いろいろ心配なところが増えて脆い状態だったのではないかなぁと今振り返って思います。渦中にいるときは少しでも一緒にいたい、元気になってほしいと毎日精一杯で客観的に見えてなかった部分もあるのかもしれません。
薬を飲んでいたこともあって、普段は痛みや苦痛はそれほどなかったはずだと思うんです。それなりに穏やかに生活できていた日もたくさんありました。
でも少しずつ弱々しくなっていたことは確実で、転んで大怪我でもしやしないかと四六時中気が抜けなくて。それでなくても認知症でいろんなことがぼんやりとしか理解できなくなっているのに、例えば転倒による骨折などで急に大きな痛みを感じたらどれだけパニックになってしまうことか。そんなことだけは絶対に避けてあげたかった。だからずっとこちらも気が抜けなかった。(たまにちゃんと立てないような日もあったので。)
そんな感じで最後の方は不安な要素がたくさんの状態だったので、もみじが亡くなってすぐは、悲しみと同時に「あぁこれでもみじはもう大怪我をしてしまうかもしれない不安からも、体がうまく動かない不自由からも解放されたんだな」と安堵もありました。
それでもやはり喪失感は大きかったです。
特にここ8ヶ月、私の生活はもみじのお世話が中心だったから。
家事も仕事も、全部もみじが寝ている間に済ませたり、夫と交代で様子を見ながらしたり。
朝起きて顔洗いに行くのも歯を磨くのも、もみじが起きる前に済ませたり、もみじが早起きした日はまずもみじの朝のルーティーンを済ませてから、自分の身支度をしたり。
ちょっと別の部屋へ物を取りに行ったり、お手洗いに行ったりするのも、もみじが大丈夫そうなタイミングを見計らって。
夜は認知症の影響でなかなかうまく寝付けないため寝かしつけが必要で。疲れさせてしまうとますますうまく寝れずパニックになってしまうので、もみじの就寝時間はきっちり守って。
そんな生活だったから、もみじが亡くなってからはなんでも自分のタイミングで好きな時にできることに毎日戸惑いました。
朝起きてまずもみじのベッドの辺りを確認しちゃうし、なんなら寝てる間も少しでも物音がしたらもみじかと思って起きてしまう。
あんなにたくさんしてたお世話がごっそり抜け落ちて落ち着きませんでした。
疲れたり大変なこともあったけど、毎日本当に幸せだったんです。
シニア犬の可愛さをこれでもかと満喫できました。
(でも一つ付け足しておきます。もし今シニア犬を介護している方で「そんな風に思えない」と感じる方がいたらどうかご自身を責めないでほしい。私はいろんなことが恵まれていたからきっとそう思えたんだと思います。介護は本当にケースバイケースです。どうかご無理なさらぬよう。)
私はほぼ完全在宅ワーク(たまに大事な予定で出勤することもありますが、ごく稀)。夫は普段は在宅ワークが多いですが週に何度か出社の日もありますし、そこそこに出張もあります。
もみじが空へ向かって旅立った日はたまたま二人とも家にいたため、夫と一緒に看取ることができました。不幸中の幸いだったと思います。
とても清々しい青空の日でした。
私と同じ熱量でもみじを愛し、お世話をし、もみじの死を悲しんでいる夫がいてくれてよかった。
夫とは毎日もみじについて愛おしさも寂しさも話し一緒に泣いたりしていますが、まだ他の人に直接話す気分にはなかなかなれなくて。
今まで経験したことのない感情に、まだ自分自身整理がつかない部分が大きいのかもしれません。
それでも、生前もみじを可愛がってくれた(私の数少ない)友人たちにはLINEを通じて伝えることが出来ました。その友人たちも動物と暮らしているので、私の気持ちを理解・共有してくれ、救われた気持ちになりました。ありがとう。
また夫の友人(職場の人たちも)もとても気にかけてくれて、感謝の気持ちでいっぱいです。
精一杯介護できたと思うし、16歳半って犬としては結構な長生きだと思います。
でも改めて16と数字にしてみると短いような気がしてきて。
18歳くらいまで元気に生きられたら良かったのにな。そのために若いうちからできることがもっとあったかな、なんて考えてしまいます。
もみじと過ごした16年間、毎日毎日「かわいい」「可愛すぎる」「信じられないくらいかわいい」と思っていたし、夢にみた犬との生活が本当に愛おしくて。
毎日そんなふうに溢れ出る愛おしさを感じることができるって、幸せなことだったんだな。きっと精神の健康にもすごく良いことだったんだなと今実感しています。
代わりに毎日もみじの写真や動画を見ているけれど、実物のもみじに勝るものはないですから。
ふわふわの毛と、抱きしめたときの体温や鼓動。
何の迷いもなく信頼して、こちらを見つめてくれる瞳。
もみじと、もみじをかたどっていた全てのものが恋しくてたまらないです。
「悲しみは愛のために支払う代償(Grief is the price we pay for love. エリザベス女王の言葉)」
というのはまさにその通りですね。
犬は返しきれないほどの愛と喜びをくれます。
そんな大きな愛情を16年間もらい続けていた私の、その代償が愛犬を失った時の悲しみなのです。
でも、それ(先立たれる悲しみを乗り越えること)も犬と暮らす責任の一つだと思っています。
だって犬にそんな思いをさせたくない。
私の方がもみじより長生きしてちゃんと看取ってあげるんだと思っていたから。
悲しみもしっかり経験しようと思います。
物心ついた頃から、無類の犬好きでした。
子供の頃の夢は常にずっと、犬と暮らすこと。
当時は居住環境の都合で犬を飼えなかったので、いつか叶えられることを夢見て育ちました。
そんな私の元にやってきた念願の子犬、もみじ。
長年の夢が現実となった瞬間です。
もう16年も前のことですが、もみじと初めて会ったときのことも、もみじが初めて私の家へやってきたときのことも、覚えています。
飼育本で学んだ、
「最初からあまり距離を詰めすぎないように、犬の方からこちらによってくるのを待つ」
というのを実践しなくちゃと思っていたら、
初日から何の迷いもなく私の膝の上で眠ったもみじ。
あのときの嬉しさは忘れられません。
人を疑うということ、警戒するということ、威嚇するということをお母さんのお腹の中に忘れてきたんじゃ?と思うほど、人間大好きで無邪気で、怒るという感情を知らないような子でした。
そんなもみじを見て、私は改めて誓ったのです。
この子が人の悪意や残忍性を知ることなく一生を終えられるよう、私が守らなきゃ、と。
誰もがもみじを愛していて、人の手は犬を優しく撫でるためにあるものだとずっとずっと純粋に信じていけるように。
その約束はきっと果たせたと思います。
最期まで面倒を見るという、犬保護者の責任も。
悲しみの中にいる今、それはとても救いになっています。
私が自分の責任で、初めて迎えた子犬。それがもみじ。
犬が心を許してくれることの尊さも、
顔の造作ではなく私の心を見つめてくれる無垢な瞳も、
息苦しくて起きたら私の首の上で爆睡していた子犬時代の笑い話も、
散歩中弾むように歩く後ろ姿から伝わる喜びも、
朝私が起きるまで顔を覗き込んでいる気配も、
好物の果物を一緒に食べる喜びも、
過去未来に囚われることなく今だけを生きる一生懸命さも、
家に帰ると必ず出迎えてくれる愛情も、
何の迷いもなく体を預けてくれる信頼も、
トコトコと後ろをついてくる存在の愛おしさも、
どんな絶景を目の前にしてもブレずに地面の匂いを嗅ぎ続ける犬らしさも、
溢れ出るエネルギーの塊のような子犬時代の元気さも、
いろんな動作がスローダウンする緩やかな老犬時代の可愛さも、
全てもみじが教えてくれました。
子供の時に思い描いていた、
「犬がいたらこんな生活かな…」
を大きく上回る喜びをくれました。
もみじと過ごした16年間は本当に幸せでした。
介護中の8ヶ月、私が外出したのって(近場のもみじの散歩をのぞいて)両手で数えて足りるくらいなんです。(食料品や日用品の買い出しは出社日がある夫がついでに済ませてくれました。)
もみじが旅立ってからは、機会があれば私も外に出るようにしています。
コロナ禍からの介護でここ何年もまともに外出する機会が少なかったので、ある意味、社会生活復帰へのリハビリです。(仕事やボランティアでオンライン会議したりメールでやり取りしたり、ごく稀に出勤する日もあるので、一応社会との繋がりはあるんですが対面でのやり取りは少なかったのです。)
そんな感じで号泣したりぼーっとしたり悲しみつつも、それなりにちゃんと生活はできています。
もみじが旅立った前後は3週間くらいひどい口内炎が立て続けにできたり、肌荒れしたり、胃が痛かったりと、ストレスからくるものもありましたが1ヶ月経ってだいぶ落ち着いたと思います。
あとは時間が癒してくれるのを待つのみですね。
ひとつ思うのは、自分の人生や時間や労力をこれからももっと犬のために使いたい、ということ。
それが今後また新しい子を迎えることなのか、何かボランティアをすることなのかは今はまだ全くわかりません。
でも犬と関わりのない人生って自分にとってなんて味気ないものなんだろうと。
私はあまり元々ポジティブな方ではなく、この世の不確かさとか未来への不安とか、人間の怖さとか、そんなものを嘆きたくなる時がたくさんあります。
そんな人生を照らしてくれるのが犬の存在だったと改めて痛感しました。
犬こそ、人に与えられた最高の贈り物で最愛の相棒。(つまりはただただ犬が好き。)
人生は犬なしで生きるには長すぎる!
今はまだもみじのことを乗り越えなければいけませんが、いつかその時が来たらまた犬と暮らしたいと思っています。
もうひとつ気がかりがあるとすれば…
今まで一人でどこかへ行ったことのないもみじが、ちゃんと虹の橋を渡って行けたのかどうか。
人は大好きだけれど、犬に対しては引っ込み思案だったもみじがお空で他のわんちゃんたちの仲間にすんなりなれるのかどうか。
なんてこと。
すでに虹の橋を渡ったワンニャンたち、ぜひもみじのことをよろしくお願いします。
犬たちが辿り着く場所には、犬が大好きな善人がいるのかもしれませんしね。大丈夫だといいな。
もみじを可愛がってくれたみなさま、
本当にありがとうございました。
これからもどうか、もみじのことを覚えていてください。
写真を見返しながら、もみじも自分も夫もなんて若かったんだと16年の月日を実感しました。
もみじの写真を集めてフォトアルバムを作ろうと思っているのですが、写真の数が膨大なので選ぶだけで相当時間がかかりそうです。
目標は年内!
写真を見ながら泣いたり笑ったり、可愛さに思わず息を飲んだり。
思い出がたくさんあるって幸せですね。
もみじ、私たちのところに来てくれてありがとう。
できることならもう一度、抱きしめて「大好きだよ」って言いたいなぁ。
愛しのもみじ、2006年12月30日〜2023年6月24日
Jul 30, 2023