読書感想:『The Magician’s Nephew』『The Last Battle』

あっっっという間に今年も10月ですね。

2022年も残すところあと3ヶ月弱…

今年は年末ごろに「作って良かったもの」等の総括を書きたいな〜と思っています。(予定はいつでも未定。)


今年の5月から読み始めた『ナルニア国ものがたり』(C. S. Lewis)シリーズもいよいよ最後の2冊。

『The Magician’s Nephew』(『魔術師のおい』)

『The Last Battle』(『さいごの戦い』)

 
 

各月1冊ずつ読むとすると、シリーズ7冊制覇するのに7ヶ月もかかるなぁ…

と思っていましたが、8・9月と2冊ずつ読めてちょっと嬉しい。


さて、ナルニア国ものがたりシリーズ、最後の2作品。

この2作品は個人的に一番ピンと来なかった作品たちでした。

サクッとネットで調べたところによると、(特に最終巻は)賛否両論。

私と同じように感じた人もいれば、逆にとても良かった!という人ももちろんたくさん。

感想はあくまでも、

「私にとってどうだったか、自分はどう受け取ったか」という極めて個人的なもの。

それはもちろん私にとっての真実ではあるのだけれど、

その作品を定義する事実とは限りません。

例えば、

「自分にとってグッとくる作品ではなかった」

ということと、

「つまらない作品」

は決してイコールではないこと。

私にとってはピンと来なくても、もしあなたがその作品を大好きで楽しむことができるのなら、それはあなたにとっての真実です。

その辺りを忘れずに、感想記事は読んでいただけたら幸いです。

今回は思うところも多く、ネタバレもすると思うのでそちらもご了承ください。

結末についても触れると思います。

思うところが多かった分、辛辣な感想が続くと多います。(超有名な古典作品に対して恐れ多いですが。)ですので、この作品がとっても好きな方は、この先読まない方が良いかも知れません。


『魔術師のおい』はナルニア国の始まりのお話。

『さいごの戦い』はナルニア国最期のお話。

前者は聖書の創世記から着想を得ているそうです。

後者は最後の審判、アルマゲドンがモチーフ。

というところからも想像できると思いますが、この2冊がシリーズの中でも特に宗教色が強いです。

「回を追うごとに宗教色が濃くなっていく」

というのは以前どこかで見ていたので、そのつもりではいましたが思った以上でした。

おそらくそれが自分の好みに合わなかった1番の理由だと思います。

アスランは全能の神だし、

悪役は理由などなく生まれついての悪。

正義と悪が分かりやすくて単純なアクション映画とかは好きなんですよ。

深く考えずに楽しめるから。

でもこのシリーズはこれだけ長いものですからね。

それだけ引っ張るなら悪役をもっと魅力的にしてほしかったかも。

とことん悪いなら悪いで良いんですよ。

感情移入できないような悪者でも良し。

ただもっとその人物の話を追いかけたくなるような抗えない魅力が足りないような…

例えば『魔術師のおい』の作中に、

「誘惑されそうになる美しくて優しい甘美な声」

みたいな描写がありますが、それだけだと弱くないですか?

確かに美は武器となり得ますけど。

魔術師が作った指輪についてももう少し知りたかった!

なんとなくの説明はあるんですが、「そこもっと詳しく!」と個人的には思いました。

でも、今作の主役と『ライオンと魔女』へのつながりが知れたのはちょっと面白かったです。あと馬の名前がストロベリーなのが可愛かったなぁ。


『さいごの戦い』は、もうキリスト教の伝導書を読んでいるかのようでした…

シリーズ全体を通してなんですが、

偏見とかステレオタイプ描写が多いのも気になりました。

以前も書いたことなんですけど、シリーズが執筆された年代を考えたら仕方のないことなのかも知れません。(女の子は地図が読めない、ゴシップしか話さない、みたいな表現が何度もありました。)

キリスト教は一神教ですから、異教の神を悪のように描いたのかもしれません。

でも、現代に生きる私の価値観ではそれらを受け入れることはやはり難しかった。

一番ダメだったのは、白人とは違う肌、目、髪の色を持つ人々のことをほぼ一括りに悪とし、さらに何度も何度も見た目と善悪について結びつけて書かれていたこと。

そして…

『馬と少年』の感想でも少し触れましたが、最終巻はスーザンの扱いが本当に酷くて可哀想だった。

美人の女性になんか恨みでもあるのかなって思っちゃうくらい。

女性がおしゃれに傾倒したり(しかもまだ若くそういうことに興味を持ちだす年齢)、パーティーに出かけたりするのを楽しむのってそんなに悪いこと?

きょうだいも両親も一気に失ってしまうような罰を受けなきゃいけないほど?

私には到底そうは思えない。

重い罪や、大きな間違いを犯したキャラクターもいっぱいいるのに、最終的にアスランさえ信じていれば全部オッケー、万事許されてしまう世界。

スーザンは罪すら犯してないのに。(宗教的な考えだと神を信じないことこそが最大の罪なのでしょうか?)

共感できない。

まぁそれで行くと、私は間違いなくナルニアには行けません。

でもラストを読んだら行かなくても良いな、と思ってしまった…

とあるレビューで

「シリーズ初期は、ナルニアはもしかしたら誰でも偶然触れることができるかも知れない世界のように感じられたのに、最後は自分とは関係ない国になってしまった」

というような内容を投稿があったんですが、この表現がとてもしっくりきました。

ちょっと悲しい。

ラストは、あれは一応ハッピーエンドなのかな?

私にはハッピーエンドのふりをしたバッドエンドのように感じられました。

最後の最後で急に、

「今まで居たのは本当のナルニアではありませんでした!」

「死後の世界にやってきたこの場所こそが本当のナルニアです!」

って言われても…

「えぇ…今まで読んできた世界はなんだったのか」

ってなってしまって。

これはプラトンのイデア論に基づいているようです。

そのプラトンのイデア論についてもちょっと検索してみたけれど、私にはさっぱり分かりませんでした。(哲学は私には難しすぎます。)

「これからずっとナルニアに居れる!」

って手放しに喜ばれてもなぁ…

みんな若いのに突然死んでしまったことを一ミリも悲しがったりしないし、

残してきた人のことを思ったりもしない登場人物たちについていけず、置いてけぼり状態でした。

それだったらスーザンのように

「ナルニアは現実だったのかどうか思い出せないくらい遠い昔の思い出」

みたいなエンディングの方が切なくとも余韻があって良かったよ…

でもそれはあくまで私の感想であって、作者はこの終わりが書きたかったんだろうなぁ。

私には、子供たちの成長をぶった斬って、死後の世界を賛美する終わり方には共感できませんでした。(なんか言葉の調子が強くなってしまってすみません。でもそれくらい困惑しております。)

『さいごの戦い』は戦闘の場面で痛々しい表現も結構あって、これ子供が読んで大丈夫?と思いました。

それまでは戦いのシーンはごくあっさりで怖い描写もなかったのに。

と、散々な感想を書いてしまいましたが…

シリーズ7冊読んだことに関して、後悔はしていません!

最後までちゃんと読めて良かった。

ドキドキワクワクしたり、

ほろっとしたり、

夢中でページをめくったことも多々ありました。

魅力的なキャラクターもいました。

自分の英語の勉強にもきっとなったと思うし。

ただ、子供に薦めることができるか?と問われたら、答えはおそらく「いいえ」でしょう。

理由はステレオタイプ描写、人種差別に繋がりかねない描写、宗教色の濃さ。

宗教の部分は自分の考えを人に押し付けるべきではないけれど(宗教的だからだめ、というのではなく自分が懐疑的なものを人に薦めることを躊躇するという感じです)、

最初の二つの理由は宗教関係なく、今とこれからを生きる子供に薦めることはできないかなぁ。

ディズニーの映画はその辺り考慮してあると思うので、映画だったら勧められるかも。

映画化されているのは最初の3作までですしね。(正確には2作目までがディズニー、3作目は20世紀フォックスだそう。)

長い間親しまれるものには、もちろん人気の理由があって素晴らしい部分もたくさんあるでしょう。

でも価値観は常に変わりゆくもの。

おとぎ話もアップデートしていかなければいけない部分があるのだと思います。

今回はそれに気がつきました。

これを機に、近年に書かれたファンタジー作品も色々開拓していきたいな。

Oct 4, 2022

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