老犬と暮らすということ 1
ブログやInstagramで何度も書いているのでご存知の方も多いかとは思いますが、我が家には16歳の愛犬がおります。
4月5月は調子が良くないことも多く、お世話に忙しく私の読書も進みませんでした。(読書は寝る前にするのが習慣なのですが、疲れ果てて寝てしまうか、逆に夜中もみじの介助をするかのどちらかでした。)
なので今月の「読書本」記事はお休み。
すこーしずつ読み進めてはいるのですが、気長にお待ちください。
代わりに、老犬と暮らすということについてを少し書いてみようと思います。
愛犬もみじは2023年6月末に16歳半になります。
若い頃はハーフバースデーは気にしてきませんでしたが、高齢になってからの半年は大きいなぁと実感しています。
小型犬(成犬)の1年は人でいうところの4年間に相当するそうで、小型犬の16歳は人間の80歳に換算できると言われています(時代とともに人の寿命も変わりますし、あくまでも目安ですが)。
1年=4年分ならば半年は2年分。
16歳の誕生日でおよそ80歳だったもみじも、16歳半を迎えると82歳と同等になるわけです。
その年齢ですから色々言うところも出てくるわけで。
視力の低下
関節炎
認知症
肝臓、胆嚢、膵臓あたりの消化器系の持病
足腰の弱り
など。
認知症の一部なのかそうでないのかわかりませんが、神経の伝達がうまく機能していないのではと思われる節もあります。(後ろ足や尻尾など。)
老犬と暮らすということを書くにあたってまず初めに書いておきたいのは、
シニア犬がいかに可愛いかということ。
おそらくシニア犬と暮らしたことのある人には共感してもらえると思うのですが、逆にそうじゃないと気がつきにくいかもしれません。
私も以前はパピーの時期が特別に可愛いんだと思っていました。
でもシニア犬にはパピーを凌ぐ愛おしさがあります。
少しずつ色んなことが衰えていって色んなことがゆっくりになって。
穏やかでゆったりとした時間を一緒に過ごすことが本当に尊くて。
以前みたいに俊敏に動けるわけじゃないのに、一生懸命私たちの近くへ歩いてきてくれて。
16年間一緒に過ごしてきて、シニア期の今が一番可愛いと思っています。(もちろん、いつの時も「今が一番可愛い」を常に更新していましたけれど。)
それは私の心の変化もあるのかもしれません。
もみじが若かった頃は、
たとえばイタズラとか、珍しくトイレを失敗しちゃったとか、こちらが吠えてほしくない時に吠えた時とか、
「あ〜もうなんで?!」
って思ってしまうこともあったんです。
だからシニア期に入って出来ないことが増えた時、もみじに対してイライラしてしまうのだろうか、って少し不安に思っていました。
でも蓋を開けてみれば、「シニアだから仕方ない。もみじだって失敗したくてしてるんじゃない。」というのが本当にすとんと腑に落ちて。
「いくらでも失敗したらいいよ、その都度私たちが綺麗にするからね」って自然に思える自分がいて、正直心底安心しました。
もみじが普段過ごしている階は、床が天然木材ではなくウォータープルーフの素材というのも大きかったです。おトイレ失敗しても掃除が楽だし、心配いらず。
わんこ本犬にとって安全な環境というのはもちろんのこと、飼い主にとってもストレスが少ない環境作りというのは老犬介護においてかなり大事なのではないかと思います
そんなこんなで、基本的には毎日毎日「今日も何て可愛いの」ともみじを愛でながらシニア期を過ごしています。
16年という年月の間に、私も以前より少しだけ大人になって多くのことを受け止められるようになった…のかもしれません。
だけれど、ずっとずっと「目に入れても痛くないくらい可愛い」と思ってきた大事な愛犬相手でも、やはり介護は大変。
最近愛犬のことで「大変だ」と書くことが増えたので、もしかしたら読んでくださっている皆さんからしたら、「頑張ってるアピールをするかまってちゃん」のように映るのかもしれません。
私も人間ですから、誰かから褒められたいとか認められたいという人並み程度の承認欲求はあると思います。それがたとえ自分が好きで選んだ道でも。誰もが持つ人間の心理ですよね。
でもそれよりは、
最期まで面倒を見るということがどういうことなのか
犬を飼うということはどういう責任が伴うのか
みたいなものを共有したい気持ちが大きいかな。
いつも可愛い可愛いとだけしか書いていませんか、それだけじゃ動物とは暮らせないよ、という事実の共有です。
ネットでは老犬介護の情報についてそれなりの量見つけることができますが、実生活で知り合いから実体験を聞くという機会が今まであまりなかった気がします。
だからというのもあって今回この投稿を書いてみました。
家族の集まり等にももみじの体調次第では出れないことがありますが、それも甥っ子や姪っ子など周りの子供たちに対して「動物と暮らすことの責任」の見本を少しでも見せることができていたら良いなと思っています。
人は往々にして(もちろん私も含め)、自分が経験していないことへ対して理解や共感を持つことが難しいと思います。
私自身、犬の介護を通して初めて実感を持てたことがいくつもあります。
たとえば、赤ちゃんを持つ寝れない親御さんたちの気持ち。
もちろん犬の介護と人の赤ちゃんの育児が違うことくらいわかっています。だからこそ、完全に理解できているわけではないとも。
「寝れないこと、また睡眠不足の状態で新生児を見ることは大変だ」
という想像は当然以前からついていたんですが、私自身介護で夜中何度も起こされる生活が続き、少しだけ実感を伴って共感することができました。
毎日ぐっすり寝れないって本当大変。
例え寝てもほんの少しの物音で飛び起きるくらいには浅い眠りしかできず、毎日疲れが取れないのも。
また、人の介護がどれだけ壮絶かも。
私の場合は相手が小型犬、それも目に入れても痛くないほど愛おしい存在の介護。
体が小さいから簡単に持ち上げられるし、犬だから勝手に鍵を開けて外へ徘徊してしまう心配などはありません。
でも介護する相手が人となるとそうはいかない。
それに自分の親や祖父母を尊敬したり愛する気持ちと、犬に対する気持ちは全く別物ですよね。
愛犬はそれこそ子犬の時からずっと私にとっては庇護すべき存在、最後まで面倒を見るべき存在として見てきた対象じゃないですか。
でも親って、子供の頃や自分が若い頃はなかなか介護のことまでは具体的に考えないだろうし、ずっと尊敬したり頼ったりしてきた人を介護するってまた気持ちの持ちようが違うのかなって。
育児は子が少しずつ成長して手を離れていくのに対し、介護の終わりって行き着く先は今世でのお別れなのですよ。
少しずつ心身ともに疲労していきいつまでこういう生活が続くのだろうと思う気持ちと、まだまだお別れを言いたくないそばにいて欲しい気持ちがせめぎ合いながら、介護をしている人は多いのではないでしょうか。
育児をしている人も介護をしている人も、以前から尊敬していたけど、今はより一層実感を伴って尊敬しています。みんな本当に偉いです!
長くなりそうなので一旦区切って、次へ続きます。
Jun 5, 2023