読書感想:『Dark Souls: Masque of Vindication』

みなさんこんにちは。いかがお過ごしですか?

あっという間にお盆も過ぎてしまいましたね。今年上半期は大変なことが多くて、日々精一杯。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、我が家の愛犬もみじ(16歳半)を6月末に見送りました。(訃報の記事はこちらです。)

まだ2ヶ月も経っていないので当然のことかもしれませんが、寂しさはまだ全く薄れません。それどころか当初よりももっともみじのことが恋しくて寂しい。

ここまでの喪失を経験するのは初めてのことだから、仕方がないのでしょう。

4〜6月はもみじの体調が安定せず読書のペースも本当に遅かったのですが、4月から読み始めていた本をやっと先月読み終えました。

縫い物や編み物の方も徐々に更新していけたらいいなぁと思います。


『Dark Souls: Masque of Vindication』(邦題:『ダークソウル 弁明の仮面劇』)Michael A. Stackpole 作

 
 

大好きなゲーム『ダークソウル』のオリジナル小説。

お話自体はおそらくそれなりにすんなり読めるタイプだろうと思うのですが、原作である英語版を選んだこともあり、私はとっても時間がかかりました。

中世(?)風の言い回しやダークファンタジー特有の単語だったりが難しくて。実世界にはないような建造物や景色の描写も、英語(第二言語)だと理解するのに時間がかかりました。

これは前回も書いたのですが、

「この小説は、ゲームの話を掘り下げたり補完したりするものではなく、またゲームの登場人物や土地・時代などを描いたものでもない」

というのを事前に知っておくことが大事かと思います。

ゲームの内容や登場人物を期待して読むとおそらくだいぶがっかりするでしょう。

私はそのことは事前に知っていたのでその点での落胆はありませんでした。

ゲームはもうあれで完結していると思っているし、ゲーム内で語られないことは自分たちであれやこれや考察するまでがフロムゲーの楽しみ方だとも思っているので、むしろ小説で触れられることがなくて良かったと思います。

小説は小説で全く別のお話を描く今回のスタイルが正解なのではないでしょうか。

ゲーム内では、はっきりと語られることはなかったけれど、ロードランやロスリックの外にも世界は広がっていることがほんのり仄めかされています。

ゲームの舞台は滅びゆく世界でしたが、歴史は長いですから命が芽吹く時代もあったでしょう。そう思えば小説の舞台設定も納得できます。

読み始めてすぐ、小説の中の世界が「光や風が感じられ、お花の香りがする」世界ということがとても新鮮でした。ダクソゲーム内は荒廃し不死または魔物だらけ、まともな生身の人間は本当に稀というのが常でしたから。

人の営みが感じられる世界観というのはエルデンリングの方が少し近いかもしれませんね。

話の内容や登場する人物や場所はゲームとはゆかりがないものですが、ゲームシステムは小説の中にも登場します。

始まりはどこかの墓地、

主人公は不死、

生身ではないから致命傷を負ったら篝火から再スタート、

倒した相手から吸収したソウルから経験や知識を得る、

回復薬、

などなど。

特にソウルの部分の描き方は上手いなぁと思いました。(でもそのソウルや篝火と関係が強かった火防女キャラが登場しないことについては、納得できないゲームファンは多そうですね。火防女はゲームだとヒロインポジションですし。)

と同時に皆さんおっしゃる通り、これはダークソウルの世界観なのか?と首を傾げてしまうのもわかる。

ゲームは滅びゆく世界を、基本的に一人で何度も死を経験しながら旅して進んでいくんです。

だからこそたまに出会うNPCキャラクターに感情移入してしまうし、そんなキャラクターたちの悲しい行く末にグッときたりもするのです。

それが小説では、大部分でパーティ(仲間)を組み複数人で冒険することになっています。

もっとも、登場人物一人で荒廃した世界を歩いても小説として書けるものが限られるのでしょう。そのため複数の主要キャラが必要なのかもしれません。

かろうじて小説の最序盤では、主人公が一人で何度も篝火に逆戻りしながら一歩ずつ前へ進んでいく様子が描かれていました。その様子がゲーム開始時のプレーヤーにそっくりでとても面白かったので、そんな部分をもっと後半も引き継いでいってくれたら良かったかな〜と思う気持ちもあります。

何度も敵に挑んでは失敗し篝火へ戻り、あれやこれや考えたり試したりしながら前へ進んでいく様子や、篝火へ強制送還されるシステムを逆手に取った戦術が登場するのも面白かった。後半はそういった不死ならではの戦い方法がめっきり登場しなくなったのが物足りなかったかも。

それでも、物語の終盤へ向かうにつれ、たくさんいたパーティの仲間が一人ずついなくなる様子はゲームを彷彿させるものがありました。

ダクソのNPCって普通に進めていたら揃いも揃って悲しい結末を迎えてしまうんですよね。一時期は賑わっていた祭祀場もゲームが終わる頃には誰もいなくなっていたりして。(NPC生き残りルートは複雑で、予備知識なしの初見ではまず無理な場合が多かったです。)

小説でも気がついたら一人一人と主要人物たちが退場していって、あれ?これは最後誰が残るの?という感じはゲームと似ていたなと。

ダークソウルって、「滅びゆく世界をどうしたいのか」を模索しながら旅するゲームだと思っているんです。

ゲーム開始時には

「火を継いで世界をもう一度繁栄させよ」

みたいなミッションが一応あるんですが、旅をして少しずつパズルのピースが揃うにつれ

「本当にそれでいいのか?それが正解なのか?」

みたいなことを考えるストーリーだったと個人的には思います。

小説も似たストーリーの進め方だったなと。

そういう点ではダークソウルの本質を受け継いでいるのかもしれませんね。

物語が始まった時点では、主人公は記憶がなく読者も与えられた情報が少ない状態。

旅が進むにつれ少しずつ主人公と共に、いろんな情報を得て世界がどう回っているのかを知ります。

そしてその時主人公はどんな行動を取るのか?

最後の終わり方については、モヤモヤする人も多そうな気がします(私も最初、「これで終わり?!」と思いました)。ゲームもマルチエンドのどれを選んでもハッピーエンドとは言い切れず、もの悲しさが漂ってたので、ダークソウルとはそういうものなのでしょう。

ダラダラ書いてしまいましたが、要約するとこうです。

  • ゲームファンの人には一概に勧めにくい。(その人の許容量やフロム脳具合による。)

  • ゲームに思い入れが強いからこそあれやこれや比べてしまいがちですが、単純にファンタジー小説としては面白いと思う。

  • ゲームファン以外の、ファンタジー好きの人ならきっと難しく考えず楽しめるはず。

いろんなタイプの人間がパーティにいるのも、一見繁栄しているように見えて実は倫理観がめちゃくちゃで不気味な都市も、剣と魔法の戦闘も、読んでいて興味深い部分はたくさんありました。

私は単純なので、物語のトリックとかにすぐに驚かされるタイプの人間。今回も物語の一番最後には「えぇ〜〜!」と驚きました。

なので結果、存分に楽しめました。

今回は英語で読みましたが、日本語訳には「貴公」とか「そうさね」とか登場するんでしょうか?(ダクソゲームシリーズお馴染みの言葉使い。)

篝火やエスト瓶は微妙に違う用語が用いられているようですが。

気になる。

この小説を読んでる間、もみじの介護で夜通し眠れない日が多く慢性的な寝不足で。

いざ読書を始めても1、2ページで寝落ちしそうになってしまって。細切れで長い期間を経て読んだために、途中で内容がわからなくなって戻って確認して…という読み方だったので、いずれまたじっくり読み直したいなと思います。

2回目は日本語訳を読むのもいいかもしれない。

Aug 18, 2023

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