【ダークソウル リマスタード】公爵の書庫&結晶洞穴
みなさんこんにちは。
ついに『エルデンリング』が発売となりましたね!
結果からお伝えしますと、エルデンリング発売直前に『ダークソウル リマスタード』クリアすることができました〜!
まずは残りのダクソ記事を書いて、それが終わったらエルデンリングの話題に移ろうかなと思っています。
エルデンリングはゆっくりのんびり時間をかけてクリアを目指す予定です。
この記事は『ダークソウル リマスタード』と『ダークソウル3』のネタバレを含みます。
またゲームの性質上、やや怖い表現やグロテスクな描写・画像があるかもしれません。
前回は小ロンド遺跡へ行き「四人の公王」を撃破した後、飛竜の谷へ寄り道したところでした。
今回はまず公爵の書庫エリアからスタート!
ところで、公爵と侯爵って別の読み方にできなかったんでしょうか?
音だけで聞いたらどちらなのか判別できないですよね。いちいち「おおやけの方の…」って説明をつけないといけない。
今回訪れる書庫は、爵位の中で一番位が高い公爵の持ち物です。
その公爵の書庫は、最初はやや戸惑う作りですがなんとなく構造が分かってしまえば探索しやすかった印象。
病み村や小ロンドのように暗いわけでもなく、
センの古城のようにトラップ尽くしでもなく、
やや結晶に覆われつつあるものの、明るくて文明の存在感がある分気味の悪さが無いのが良かったです。
でもここにも見た目が苦手な蛇人の敵が配置されており、毒矢にお世話になりました。
本当どこ行っても、毒が効く相手なのかどうかばっかり試しています。
書庫を抜けると、一旦中庭のような場所に出ます。
青いクリスタルゴーレムがたくさんいる中、一人だけ金色の子が。
狭間の森と同様、中に誰かが囚われているのだろうと予測した通り…
玉ねぎ騎士が出てきました!
同じ玉ねぎ装備でもこの人はジークマイヤーさんの娘さんである、ジークリンデさん。
重い鎧と武器を背負ってこんなところまで来れるとは、リンデさんも優秀な騎士なのでしょう。そして声がすごい可愛いんだよね。
カタリナの騎士たちはみんな礼儀正しくて穏やか。
こうしてジークマイヤー&リンデさんのストーリーを進めた後はいよいよ結晶洞穴へ。
透明な道に、光る七色石で目印をつけながら恐る恐る進んでいきます。
でもそんなに暗くないから一度道が分かればそこまで怖くない。
結晶洞穴のボスは「白竜シース」。
ダクソ1のドラゴン(もしくは尻尾のあるモンスターボス)は、その多くが尻尾を切ることで武器をドロップします。
が、この時点ではすでにサクサクとクリアまで辿り着くのが何よりの目標。尻尾は最初から諦めとにかくボスを倒すことを第一にしました。
尻尾切り(切れるのは真ん中の尻尾)を狙うとなると結構難しいらしいのですが、ボスを倒すだけなら左右どちらかの尻尾に張り付いて攻撃を入れているだけで大丈夫。
左右の尻尾付近はシースの攻撃に当たることもなく、危なげなくあっという間に撃破。鱗のない白竜シースの尻尾はちょっとタコみたいなテクスチャーでした。
ぶっちゃけ、シースよりもその手前の貝の方が難しかったかもしれない。
四人の公王に続き、2つ目の王のソウル獲得です。
今、ロシアとウクライナの情勢がニュースに溢れていますね。
今回のことに限らず、こういった類のニュースを見聞きすると思うことがあるんです。
自分は絶対に戦争や暴力には反対。
みんなが安心して生活できる世界が欲しい。
戦争のニュースや映像を見て恐怖を感じるし、傷ついた人を見て悲しくなるし、命を守るため今ある生活を捨てることを強いられる人を見て、やりきれない思いになります。
世界のいろんな場所で起こる理不尽な出来事に腹をたて、感情的になり、泣くことだってある。
それなのに、なぜダークソウルやゲームオブスローンズのようなジャンルのゲームや映画を好むのだろうか、と。
自分なりに一応線はあるんです。
明確にファンタジーと思えるものはフィクションとして受け入れられる。
逆に現実で起こりそうな事件や戦いを題材にしたものは、程度によっては避けることもあります。
戦争もの、映画やテレビで語られるものが全て事実ではないという前提ではありますが、歴史を知る・調べてみるきっかけになるのでたまには観るようにしています。
が、ギャングものとかウエスタンなど比較的暴力の多いもの、トラウマを残しそうな題材を扱ったものなどは避けてしまいます。
そういう点で、魔法やドラゴンが出てくるような作品は「これは現実ではない」という厚いフィルターをかけられるので、観ていられるのだと思います。
そうはいっても、ゲームオブスローンズはちょっときつくて映像を見る代わりに、エピソードのネタバレ投稿を読んで次に進んだシーズンもありました。
ゲームオブスローンズをきっかけに、『なぜ面白いのか』というとても興味深い考察ブログに辿り着きました。
「『視聴者』はいつデナーリスに殺されたか」というシーズン8エピソード5に関する記事は特に興味深く、記憶に残っています。
フィクションというフィルターを通せばエンターテイメントとして消費できてしまう我々。
作品内で、感情移入できる側が感情移入できない側に行う虐殺は時に爽快にさえ感じられる。
そのことをちゃんと自覚すべき、という部分が特に。
筆者の方もおっしゃってますが、現実とフィクションの区別がはっきりつき、フィクションを楽しむならそのこと自体は悪いことではないんです。
私も、ダークソウルだとか、ゲームオブスローンズだとか、ロードオブザリングだとか大好きですが、何も人が死ぬことを楽しみにこういった作品を見たりゲームをしているわけではないのです。
そうではなく、作品が提示するものだとか、作者の意図はともかく自分がどう受け取るかとか、キャラクターやストーリー、登場する言葉を考えたりだとか。単純に美術的な部分で好みだったり。
そういう出会いによって自分の人生が豊かになることを楽しんでいます。
それでもやはり、そういう作品を楽しめる自分という部分も自覚しておいた方がいいのだろうなとは思います。
昔、友人が言っていたことを思い出します。
「暴力的なゲームを禁止もしくは排除した方が良いのかどうか」というディベートがあったとする。
もちろん、排除すべきだという考えを持つ人もいるだろう。
でもそれで根本を変えられるのだろうか?
ゲームだけで人の人格は決まらないし、子供なら特に家族など周りの人と過ごす時間や、受けている教育の方がよほど影響があるはず。
ゲーム以外にも恐ろしい描写がある作品は至る所にあるし、現実に起こる事件や戦争を伝えるニュースだってそう。
であれば、現実とフィクションは違うと認識させること、なぜ暴力や残酷なことはいけないのか、などを教える方が効果的だと自分は主張するだろう。
というような話でした。
まだ私が20代前半の頃に、少し年上の友人がしてくれた話でしたが今もよく覚えています。
とりとめの話になってしまいましたが…
現実とフィクションの区別をきちんと認識できる自分。
フィクションの壁を隔てたら残酷なストーリーをもエンターテイメントの一部として受け取ることのできる自分。
それでもやはり争いや暴力、誰かを傷つける言動は絶対にダメだと思える自分。
その辺りをちゃんと自覚、意識できる大人であり続けたいものです。
そして現実をきちんと知るための努力をしながらも、いつかみんなのもとに平和が来るように願う気持ちも忘れずにありたいと思います。(もちろんそのためにできることを見つけ行動することも。)
私が生きてるうちは無理かもしれないけれど。
夢見がちな希望なのかもしれないけれど。
誰も夢を描けなくなったらそれこそ理想には近づけないと思うのです。
みんなが美味しいご飯を食べ、あったかい布団で眠り、明日が来ることが当たり前で、自由に自分の未来を描ける、そんな日を手繰り寄せることができますように。
こんな風に「良いこと」を書いているように一見見えて、全て綺麗事なのだなと連日の報道で思い知らされます。
あくまで今安全な場所にいるからこそ、高みの見物気分で生ぬるいことを書いているのだろうなと自分でも感じます。
そこには「自分は安全でよかった」という自分本位な思いが多分に含まれているのではないかと…事実自分のことばかり書いてしまいました。
でもその「安全な場所」を守って増やしたい気持ちは確実にあります。
まずは寄付などできることをし、戦争反対だと声を上げること。
意見を持ち声を上げられる安全地帯にいる私たちだからこそ、ちゃんと言おうと思います。
戦争反対。
No to war.
Mar 1, 2022